今回は京都市下京区にある東本願寺です。
浄土真宗大谷派の本山で、『お東さん』などの愛称で知られています。

東本願寺の最寄り駅はJR・近鉄・京都市営地下鉄の京都駅です。
大阪方面からだと
大阪駅⇒新快速で約30分⇒京都駅

JR京都駅からは中央口を出た所に見える京都タワーの右横にある烏丸通りを直進します。

京都駅から5分ぐらい歩くと『烏丸七条』の交差点があります。
この向こうに見えるのが東本願寺です。

京都市バスだと
JR・近鉄・京都市営地下鉄 京都駅 A1・A3・B3・C5・D2・D3のりばから
5番・26番・73番・86番・88番・206番・208番⇒『烏丸七条』
『烏丸七条』のバス停から東本願寺へはすぐです。

京都駅から歩いて来て最初に見える門は阿弥陀堂門です。
重要文化財に指定されている阿弥陀堂門は、1911年に落成されました。


阿弥陀堂門をくぐった正面に見えるのが、阿弥陀堂です。
横幅52メートル、高さ29メートルの大きさを誇る阿弥陀堂は御本尊の阿弥陀如来像を祀るお堂で、現在のお堂は1895年に完成し、その後も親鸞聖人七百五十回御遠忌の特別事業として修復工事が行なわれました。
御本尊の阿弥陀如来像以外にも法然上人などの七高僧や聖徳太子の御影像がかけられています。

阿弥陀堂門より北にある大きな門は重要文化財に指定されている御影堂門です。
あまりにも大きな門なので、横断歩道を渡って撮影しました。
大きさは横幅21メートル、高さ27メートルもあり、木製の二重門としては日本一の規模を誇ります。
また御影堂門はの一つとして数えられています。
京都三大門
・知恩院三門
・東本願寺御影堂門(もしくは仁和寺二王門)
・南禅寺三門


そして御影堂門をくぐった正面にあるのが、御影堂です。
横幅76メートル、高さ38メートルという巨大なお堂には浄土真宗大谷派の宗祖親鸞聖人の御真影を祀っていて、国の重要文化財に指定されています。
こちらも1895年に完成し、親鸞聖人七百五十回御遠忌の御遠忌の特別事業として修復されました。
訪れた時はお堂の中で、法話が行なわれていました。
畳にして内陣・外陣をあわせて927畳分もあり、とても広い空間でした。

阿弥陀堂からは京都タワーがすぐ近くに見えました。

ではこの東本願寺とひと筋西側にある西本願寺とは何が違うのでしょうか?
(画像は西本願寺阿弥陀堂)
浄土真宗(真宗)は真宗十派と呼ばれ、十の宗派に分かれています。
そのうち現在の代表的な宗派が本願寺派と大谷派ですが、もともと現在の西本願寺のある所にあり本願寺は一つでした。
しかし戦国時代の石山合戦を機に、二つに分かれました。
今の大阪城の位置にあった石山本願寺をなかなか攻め落とせない織田信長は天下統一が出来ないのを嫌い、当時の天皇である正親町天皇を介し本願寺に和解することを求めました。
その時に本願寺内で
信長と手を結ぶと主張した第十一代門首の顕如(けんにょ)
顕如の三男の准如(じゅんにょ)
と
信長と徹底抗戦を主張した顕如の長男の教如(きょうにょ)
は激しく対立しました。
結果、1580年に信長と手を結び石山本願寺は明け渡され、顕如と准如は和歌山にある鷺森別院へ移りました。
対立した顕如と教如の仲はそう簡単に直るものではありませんでした。
顕如が担っていた門首の座は長男の教如ではなく、三男の准如に渡りました。
その後、織田信長から徳川家康へ時の支配者は移りましたが、浄土真宗があまりにも大きな勢力があったため、家康は自らの勢力が弱められるのを恐れ浄土真宗を分断させようと画策しました。
そこで門首の座を得ることが出来ず不満に思っていた教如に寺地を寄進して東本願寺を建てさせました。
もともと西本願寺のあった所が本願寺とされていたので、区別してわかりやすいように
西本願寺 ⇒ もともと本願寺があった所
東本願寺 ⇒ 徳川家康が寄進して建てさせたお寺
と呼ぶようになりました。
現在では本願寺派と大谷派は激しい対立はせず、同じ真宗十派という真宗教団連合に属しています。
最後までご覧いただきありがとうございます!
<まとめ>
〇アクセス
JR京都線 京都駅(JR-A31)
近鉄京都線 京都駅(B01)
京都市営地下鉄 京都駅(K11)
⇒徒歩約5分
京都市バス『烏丸七条』バス停
⇒すぐ
〇拝観時間
5:50~17:30(3~10月)
6:20~16:30(11~2月)
〇拝観日
2021年11月16日
〇拝観料
なし
〇札所
なし
〇駐車場
なし
※2021年11月16日現在
素晴しい写真、日本建築の美しさを肌で感じました!
なんだか見ていると心が洗われます。
メッセージありがとうございます。
実際に見てみるとその大きさに圧倒されますよ。